謎の航空写真

大蔵山 安全寺 周辺全景(昭和22年12月25日撮影)
写真中央の矢印が示しているのが、
安全寺(矢印は後から添付したもの)。
現在の地図と比べてみると、この鶴川周辺がどのように変化したかがよくわかる。
写真提供:曹洞宗 安全寺

昭和20年頃の鶴川周辺の様子を空から写した、この航空写真は、鶴川団地セントラル商店街から程近い大蔵町にある“安全寺”の本堂改築の際に見つかったものです。

お寺の関係者の方から伺った話では、先々代の住職が軍(!?)に頼んで撮影してもらったものだとか。現物は一畳ほどの大きさの紙焼きで、確かに、写真をよく見ると、かなりの精度で撮影されたものだというのがわかります。当時の混乱した状況下で、上空からお寺を撮影するのに民間機を飛ばすこと自体、考えにくいですし、写真から判断して、撮影された高度も、かなり上空と思われます。

この当時に撮られた航空写真というのを図書館で調べても、ほとんど見つからないことを考え合わせると、軍によって撮影されたという話もぐっと真実味を帯びてきます。

第二次大戦中、安全寺は東京・鈴が森の小学生たちの疎開先になっていたそうで、その後、戦争が激しくなると、軍隊の訓練所として使用されるようになり、疎開していた小学生たちは、近くの慶松寺(鶴川)と萬松寺(小野寺)に分散して預かってもらうことになったそうです。そうした環境から考えると、航空写真が軍によって撮影されたものだということも納得できます。ただ、一体なぜ、安全寺上空から航空写真を撮る必要があったのか、その理由はまったく不明。当時の事情を知る方が存命でないことから、すべては謎のままです。ただ写真だけが残され、このような形で甦ったわけです。

実は、本サイトに、この航空写真を掲載することになったきっかけも、ちょっとした偶然から。セントラル商店街元会長の中村氏が、趣味のカメラを手に鶴川周辺の風景を撮り歩いていた時に、たまたま安全寺を通りかかり、周辺地域の古い時代のことを尋ねたことから、“実はこんな写真が”という話になったそうです。これも、何やら“縁”というものを感じさせるエピソード。古が、今に何かを語りかけようとしているのかもしれませんね。

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